ジョアン杉田・音楽履歴

    その1−海外編

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 ブラジル音楽との出会いは、高校時代テレビで「バーデン・パウエル」のギター演奏を見てか

らでした。その衝撃的とも云える音楽と、クラシックとはひと違う世界にすっかり魅了されてしま

いました。

 高校を出てから、ろくに大学へも行かず、銀座のシャンソニエなどで歌の伴奏をしながら金を

貯め、26才でアメリカへ渡りました。ついでに言うと、そこでロス・アンゼルスに偶然演奏旅行

に来ていたクラシック・ギターの神様“セゴビアと出会うことができました。

 まあ、演奏の方はレコードで聴いていたものとは違って、明らかに年齢的なものを感じました

が、何よりあのセゴビア・トーンをまじかで聴かれただけで感動ものでした。

 その後、ペルーアルゼンチンなどを経由しながら、目的地ブラジルリオ・デ・ジャネイロ”で

元・フジテレビ・ディレクターの太地恒夫氏経営のレストラン「鹿鳴館」でギター演奏の仕事をし

ました。そこで、多くのミュージシャンと知り合う事も出来ました。

 カネも無くなっていたので、大変ラッキーでした。ラッキーと云えば、そこの店にお客で来て

いたキャリオカと仲良くなり、ついには結婚まで出来たことです。

 ところで、この太地氏こそ、私が高校時代、日本のテレビで見た“バーデン・パウエル”を

ミュージック・フェア」と言う番組で我が国にはじめて紹介した当時のフジテレビ・ディレクター

だったのでした。

 まったくブラジルへ来るべくして来た様な、運命の不思議を感じたものでした。

 ついでに云えば、キャリオカと結婚してからすでに30年近くなりました。今では孫もいて、

 歳月を感ずる今日この頃です。

 以後、1982年に帰国し、その後1984年、1992年、1998年、2006年、2008年

ブラジルには行きました。

 特にブラジル系ギターの名手“セバスチアン・タパジョス”には、いつも公私わたり大変お世

話になりました。今でも大変感謝しております。

 私が今でもギターを通して曲がりなりにも音楽をやっていけるのも、親兄弟をはじめ、

日本やブラジルで作った多くの人々の友人・知人のおかげだ・・・と、つくづく思います。

 この30年間、私も50才を超え多くのブラジル人ギタリストの巨匠たちも逝ってしまいました。

 しかし、ブラジル音楽の素晴らしさは次の世代に引き継がれ、時代とともに変化、発展してい

くに違いないと思います。

 私も2008年にやっとブラジル政府より“永住許可証”が出ました。

 が、サンパウロの自宅からギター2本をはじめ、アンプ・マイクなど商売道具、家財道具すべ

て盗難されてしまいまた。そして一人で行くところも無く帰国しました。

 でも、気にしていません。ここからが本当のスタートだと思っています。

 楽器やアンプに執着しているうちは、甘いと思うようになりました。

 なぜなら、音楽は心の世界に属するものだと思うからです。

 私はつねづねこう思っています。

  「人間死ぬ時は、何も持って行けません。ですから現世にどれだけ素晴らしい価値の

   ある物を持っていても、わずかな間です。それよりも、どれだか心の修行を積んだか」

 だと思います。

 私もまだまだこれからです。




【1980年代】



【上左】 ロス・アンゼルスで知り合った珍しいアメリカ人のフラメンコ・ギター奏者(腕もなかなか)

【上中】 偶然公演に来ていたセゴビアを千載一遇と訪ねる。
  
【上右】 
ペルーへ行った時、リマ市で大道チェスをする人々。
       
【下左】 
リマ市の映画館で当時上映中だった“影武者

【下中】 “ペルー新報”を主催し、リマでペンションを経営する山本氏(中央)と。
          左は機内で知り合った日本人旅行者。                                                                                                                                                                 


【下右】 当時は5ドルもあればリマのレストランで昼食が出来た。
      


 【左端】 アルゼンチン、ブエノス・アイレスタンゴ発祥地として有名なボカ地区で。

 【中央】 特にこのあたりは名曲として知られる“カミニート”(小径)と呼ばれている。

 【右端】 このあとサンパウロまで三日三晩かけバスで北上した。


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 【上左】 ブラジルの友人宅でのスナップ。 

 【上中】 コルコヴァードの丘に登ったときの一枚。

 【上右】 リオの観光地、パケタ島にて。

 【下左】 ボサ・ノヴァの名曲“イパネマの娘”で有名なレストラン。

 【下中】 レギュラー出演していたリオの“鹿鳴館”でセッション
       左は秋岡 欧氏(現
ショーロ・クラブ)とパーカッショニストの安井源之新氏。

 【下右】 左からサンバ歌手の森本タケル氏、太地恒夫氏、女房と小生、秋岡 欧氏。

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