【ジョアン杉田・音楽履歴 その2−日本編】
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私がギターに出会ったのは、たしか中学一年の頃だったと思う。
その当時NHK教育で「ギター教室」をやっていたのを見たのが最初だった。
何といっても当時、日本クラシック・ギター界の大御所だった阿部保夫氏が弾く
「魔笛」の軽快なテーマ音楽に乗って始るオープニング・シーンはある種の感動
さえ覚えたものだった。
その後、高校時代から阿部保夫氏の高弟であった川野辺安義氏のもとへ
レッスンに通いクラシック・ギターと言うより、そこではじめて音楽の基本を学ん
だ・・・と言えるかもしれない。
大学時代はクラシック・ギターのサークルに属しながら、立川にあったドイツ
レストラン「ダンケ」で初めて人前で演奏し、お金をもらったのもこの頃だった。
さて、学校を出てからは新宿や銀座の夜の店で主に歌の伴奏をやっていた。
今思えば「C調で演奏」したり、リズム感もその頃身についたと言ってよい。
ブラジルから帰ってからは新宿のビア・レストラン「ラインゴールド」へのレギュ
ラー出演しながら、「アントニオ古賀ギター学院」「つつい音楽工房」などで
ギター講師をやる一方、ミュージカル・ソーの都家歌六氏の伴奏などもする。
1990年代に入ってからはレギュラー出演をやめ、ルイーザ星川(古館由佳子)
とジプシーヴァイオリン&8弦ギターのデュオ「ドゥアス・コルダス」を結成。
最初の頃は、主にストリート演奏を中心に活動を始めた。
この間、(株)エス・ツウから3枚CDをリリースしたのをはじめ、高島屋がスポ
ンサーの「第一回・新宿パフォーマンス・コンテスト」<音楽部門>で優勝。
以後、日本全国のイベントやパーティで演奏活動をした。
その後、2000年に入りグループを解散、房総・木更津に引越し、ギターソ
ロとしての活動に戻る。
現在は自分の作品を作ることに専念し、ブラジルと日本を気ままに行き来
しながら生活している。
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【1960〜1970年代】
【上左】 14才頃、八王子の自宅でギター練習。
【上中】 その当時使っていた“NHKギター教室”のテキスト(二代目の小倉 俊先生)
【上右】 川野辺ギター教室の発表会で(東医健保会館)
【下左】 川野辺ギター教室の夏合宿(伊豆)
【下中】 “法大ギター音研”時代の夏合宿(西湖)
【下右】 定期演奏会での二重奏。右は学友の鈴木一光氏。
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【1980年代】
1980年代は東京・新宿にあったドイツ・ビアレストランの
“ライン・ゴールド”のレギュラーをメインに各地のイベントや
ライヴなどにもよく出演した。
教える方も都内で四ヶ所あって、それなりに忙しい日々であった。
日本もバブル景気で、今考えるとイベントも多く大変活気があった。
私も子供が3人になり苦しい時もあったが、それなりに楽しい時代だった。
【上左】 陶芸家の前後喜平氏の山小屋ホール(福島)で演奏。
【上中】 レッスン風景。右は門下生の大井理恵氏(アントニオ古賀ギター学院)
【上右】 門下生たちと草津へ一泊旅行。
【下左】 “アントニオ古賀ギター学院”発表会。
【下右】 同・学院十周年記念パーティ。
【上左】 落語家でノコギリ演奏家の都家歌六氏とジョイント・コンサート
(渋谷エピキュラス-1984年)
【上中】 同ニュー・イヤー・コンサートでの花束授与。
【上右】 目白にあった“つつい音楽工房”でのミニ・コンサート。
【下左】 “ラジオ福島”で生ライブ演奏。
【下中】 硫黄島へ自衛隊の慰問公演。
【下右】 同島で声帯模写の故・松井錦声氏と。
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